以前にこんな言動をしたら上手くいった、或いはダメだった・・ じゃあ、今回は同じようにやってみよう、もしくはやらないようにしようっ。そんな感じで、物事について吉兆を色々と気にする考え方みたいなのは世界共通です。所謂「ジンクス」なんかはそれですよね。どんなシチュエーションでどんな言動を取るっていうのは当然人それぞれです。他人から見て何気ない言動一つが、その人にとっては決まり事なんてことも多いでしょう。まぁ、あくまでもその人の気持ち次第と言いますかねぇ?

さて、日本にもやはりそう言う文化があります。「験かつぎ」とか「縁起かつぎ」なんて呼ばれるものなんですが。勿論、個人がそれぞれに「験かつぎ」として行っているものがあるっていうのは同じです。ただ少しばかり趣が異なるのは、一般的に非常に知られている、或いは取り入れられているものがあるという点です。そう言った「験かつぎ」の場合、ちゃんとした作法の一つになっていたりして、それを守らないと失礼に当たるなんてことも・・ そうなってくると、最早「験かつぎ」とは意味合いが違うんじゃ・・?って思っちゃいますが。正式な作法やマナーになっていることも元を辿れば、割と他愛のない理由からだったり、至極個人的なこだわりや趣味趣向がきっかけ、なんてことは日本に限らず多いのかもしれません。とは言え、作法やマナーになってしまっているものは無下に否定するわけにもいかないわけで・・ 一般的に受け入れられているってことは、そうしなきゃって思わせるだけの何かがやっぱりあるんでしょうから。

何だかふんわりとした曖昧な話になってしまって申し訳ございません。しかしながら、日本の「験かつぎ」とか「縁起かつぎ」ってものは、一般的な作法やマナーとして取り入れられているものも含めて、他から見るととっても何気ない言動だったりするんですね。宗教的な意味合い等で絶対的に禁忌にされているものでもありませんし。そういう意味では、いかにもこの国らしい文化だなぁと感じられるかもしれません。そんなこの「験かつぎ」ですが、じゃあ具体的にはどういう方法で以て(あるいは考え方に基づいて?)幸運や良いめぐり逢わせを呼び込むのか?ってことですが。日本の「験かつぎ」の多くは、「語呂合わせ」「見立て」と言う、これまた日本ならではの考え方が大元になっていたりします。それらの「験かつぎ」が、一般的な作法や習慣として受け入れられたのは、その考え方がとても分かりやすく、受け入れやすかったせいかもしれません。おそらくとても興味深い考え方だと思いますので、それぞれもう少し詳しくご紹介しておきますね?

語呂合わせ

日本には「言霊」と呼ばれるものを大事にする考え方があります。声として発した、若しくは文字として書いた言葉には「力」が宿るという思想と言えばいいでしょうか。この場合の「力」というのは、神様(精霊)の力みたいなものですね。なんせ八百万の神様がいらっしゃいますので。良い言葉には良い事を起こす「力」が、悪い言葉には良からぬ事を起こす「力」があるわけです。「語呂合わせ」というもので大切になるのは、その言葉の読み方。言い換えれば、「音」です。意味が異なる言葉でも、読み(音)が同じであれば、同じ効力を有するって感じに考えるわけですね。じゃあ、まぁ・・それならその「力」にあやかりましょう、みたいな。ちょっと軽いノリみたいな言い方をしましたが、一般的にとっても受け入れられている考え方なんです。しかも結構気にする方が多かったり・・ 下手に無視するのも、どうも落ち着かないって感じでしょうか。その割には、「言葉遊び」の性質が少なからずあったりしてなかなか面白いんです。

例を挙げるならば、良い意味の言葉を含んだ名称の食べ物を食べるとか。勝負事の際なんかには、「勝つ」って言葉を意識して「かつ丼」を食べる。「粘り強い」って言葉を意識して「納豆」とか「オクラ」とかとにかく粘っこいものを食べるとか・・ 新年の祝い事に食べられる「おせち料理」なんかは「語呂合わせ」の宝庫です。食べ物に関することに限らず、この「語呂合わせ」による「験かつぎ」は本当にたくさんあります。「四」「九」等の数字は、「死」「苦」と音が同じだから避けるのは日本ならではの考え方だったりしますね。このサイトでも機会がある毎に色々ご紹介したいと思います。

見立て

ある物事の様の良し悪しを、他の物事の様に重ね合わせる考え方です。悪い物事の様を連想してしまう事はなるだけ避けることで、物事が良い方向に進むように願いましょうって感じですね。例えば、「八」って数字は書き順的に後に従って広がっていくことから、「末広がり」と呼ばれて好まれたりします。他にも数字に関係する「見立て」で作法やマナーとしてよく知られているものですと、結婚のご祝儀の金額についてのものでしょうかね。偶数を避けるんです。割り切れちゃう数字ですと、「別れ」を想起させちゃうってことで。だから、三万円とか五万円とか、十一万円とかにするわけです。あ、「三万円とか五万円って偶数じゃない?」ってとこに触れるのはツッこまないで下さいね?

なかなか面白いので、食べ物に関する例なんかも挙げますと・・ 鰻料理ってありますよね? あの鰻の捌き方には日本の東側と西側で違いがあるんです。東側では腹側から切ることは避けて、背中側から切ったりするんですね。東側っていうのは、今の東京。かつての江戸の町があった側なんです。つまりは武家(徳川家)の本拠地にあたる地域。武家の人間にとって腹側を切るのは、「切腹」を連想させてしまうので「縁起」が悪いって考えられたのだとか。まぁ、これもあくまでも一説ですが。

なかなか洒落てるといいますか、面白い「こじつけ」だと思いませんか? ただこういったものも、相手に配慮してそうすることが定着していったものがおそらくたくさんあるんでしょう。そう考えると、やっぱり無下にもできないものだったりするわけです。「縁起モノ」とされている物はたくさんあります。是非ともその由来なんかにも興味を持って頂ければと思います。